クリニック 名古屋ちくさヒルズ

理事長ブログ 名古屋クリニック

香りがない

散歩道に八重桜が落ちていた。妻が拾って香りをかくと「かおりがない」という。「香りがない」というのは、どのように解釈すればよいのか?落ちた桜に、香りがない、のか、香りが感じられないのか、どちらかであろう。「香りが感じられない」にも2種類あって、香りが微弱または無臭であり、香りが感じられないのか、香りを感じることができないのか、であろう。また、香りを感じることができないのも、鼻がつまっているなど、末梢感覚器の問題と脳の感覚野の問題に、分けられるであろう。このように考えると、「香りがない」というささいな事象も、さまざまな分析があるのである。そもそも世の中生きとし生けるもの、無臭ということはあるのであろうか?動物では、無臭ということはないと思うが、植物ではどうであろうか?水のような無機的なものには、香りがないことはありえるかもしれない。しかし、腐って細菌が繁殖すると、細菌は有機物なので、香りがあって、そのような水には、香りがある。

古来、香道と言って、香りを芸術としてたしなむ文化が存在した。香木なるものは、重要文化財として、奈良の正倉院に古くから大切に保存されている。香りは、脳を刺激する不思議な作用を持っており、ひとは、香りによって人格を変えることもできる。もしかすると、五感の中で、嗅覚が脳と最も直結しており、香りのノウハウが脳を制御するにつながることを古来の人々は知っていたのかもしれない。つまり、ひとは、意識しなくても香りの集合の中で毎日生きているのであり、万一無臭という瞬間があるとすればひとの脳にあるカタストロフィーを生じる。このカタストロフィーは、場合によっては精神異常、場合にとっては記憶喪失という結果になる。そうすると、使いようによっては、認知症やアルツハイマーなどの脳疾患の病気に対して、嗅覚をとおした治療法に繋がるかもしれない。もともと鼻を経由して脳の手術をするという経鼻手術が脳外科では行われてきたので、解剖学的にも鼻は脳と近接する。従って、香りによって脳機能を制御するというのは、あながち荒唐無稽ではない。このあたりの研究をもっと進めていただけるのであれば、ありがたい。

香りによる医療といえば、犬はすぐれた嗅覚で癌患者を見つけることができるようである。海外の研究者は、いろいろな癌腫で調査すると、確かにいくつかの癌腫では、犬が癌香なるものを検出し、知らせたそうである。もしも健康香とか疾患香が存在するのであれば、香りは、病変の診断にも有用である可能性が高い。「香」を用いた診断治療技術の確立と脳機能の解析は、これからの医療にとって重要なテーマになるのではないか?

クリニック ちくさヒルズ 院長
林 衆治

野菜は美味く食べる以上に何?

八ヶ岳のとあるイタリアンレストランに妻と食事に行った。野菜のミネストローネの後に、高原野菜のアペタイザーが出てきた。半透明のグラス系の大きなプレートの上に、色とりどりの高原野菜が綺麗にレイアウトされ、かすかな下味をつけて盛られている。そのひとつひとつをゆっくりと口に運ぶ。実に多彩な味である。彩も多彩であるが、味わいも同様。野菜は健康に良いと言われるが、それ以上に食することを楽しむことができる。食するということは、人が必然的におこなう行為である。人が生きるために絶対必要な行為であり、動物的な行為である。人は、調理と味付けによって、食するものが美味くなる工夫をし、楽しみを与えることとなった。病院では、病気を治すという目的で、患者の食事を用意する。普通まずいものが多い。食事の量、栄養状態を常にチェックすることは、看護師にとって重要な仕事であり、食事量、カロリーのモニタリングは、病院の行う患者治療の一環である。このように、食事に関するモニタリングデータが多ければ、ビッグデータとして、様々な情報処理に用いることができる。

たとえば、一回の食事では、約1時間の食事時間で、どれだけのデータを取得できるかについては、ほぼ無限である。この無限データを集積するために、さまざまな端末が開発される可能性がある。たとえば、お箸、スプーンなどの食器類情報端末とした場合、使用頻度、血圧、心拍数などの生体情報、使用方法、などをデータとして、取得できる。お皿やお茶碗などの食器類の場合、食事量、減少速度、生体情報などをデータとして、取得できる。このように場合によっては、食べる食料からもデータを取得することができる。もちろんこのような食事に関連するデータ集積機器をさらに能動的に操作することで、さらに多くのデータを集積できたり、その背景をコントロールできたり、ということもありえる話である。このように考えると、食事によるビッグデータは、ひとの生活空間の中で、最も有望かつ重要とも考えられるが、どうもそちらに研究開発の関心はさほどいかないようである。これからは、ウェアラブル端末が健康管理システムに果たす役割はますます増大するが、その際に、食事の役割を忘れてはいけない。美食とか、健康食品といったレベルの話は、マスコミが喧伝する程度の話であり、その将来は、確実にビッグデータと切っても切れない関係にあるのである。

クリニック ちくさヒルズ 院長
林 衆治

Automatic car:その戦略上の意義は?

近年、ハイブリッドカーやプラグインハイブリッド、電気自動車はすでに実用化され、ついには空飛ぶ車とか自動運転といった一昔前には夢であった技術が真剣に開発されるようになってきた。自動運転は、主な車メーカーがこぞって開発研究を行っているようで、一部欧米の車で実用化されているものもあるし、国内でも実証実験などがおこなわれているようである。自動運転というのは、行き先を車に告げれば自動的に到達するというメカニズムをイメージする。これはまことにすばらしいことで、車を運転できなくなったお年寄りや、体が不自由な人たち、はたまた免許をとれない子供たちにも可能性を広げる技術であり、高速道路での長時間運転や渋滞でののろのろ運転も苦痛ではなくなるものであろう。誰かが言っていたが、人口が減少し、車ユーザー特に若者のユーザーが減ってきている日本では、新たな市場を開拓することができるし、車が単なる移動手段ではなく、生活空間として新たな可能性を開くことになるであろう。しかし、以上に述べてきたことは、かなり先のはなしである。どうも運転者が運転行為から完全に解放されるには、まだまだ技術革新が必要なようで、この目標に向かって、さまざまな企業が研究開発を行っている。特にトヨタ、日産、ホンダ、メルセデス、BMW、アウディー、GM、ボルボなどの自動車メーカー以外に世界的な IT 企業であるグーグル、アマゾンなどが参入している。自動車メーカーにとって、自動運転は、車のメカニックのひとつにすぎないので、まずは安心、安全な装置の範囲内で車に搭載しようという考えのようである。従って、自動運転車をあたかもタクシーのように使うというのはかなり先のことになるであろうが、個人所有のタクシーを最終的な目標とイメージしているような気がする。対して、IT 企業は、なぜ自動運転の研究開発を行うのであろうか?彼らにとって、自動運転の基盤技術は高度なクラウド AI、と考えており、まさに IT 企業の得意分野であるからである。そうすると、かれらのイメージする自動運転車は、クラウド AI を搭載するロボットそのものであって、このロボットを人のウェアラブル端末として何かに利用ということかもしれない。ひとつの可能性は、ビッグデータの集積である。ビッグデータの収集端末として車は、割と魅力的である。シャツ、靴、メガネ、時計、に比べて、車という移動する居住空間で、個人データにとどまらず多数の人間のデータや環境データも取得できる。つまり車は、移動を目的としたデータボックスであり、もしかしたら、AI は、別途セットアップされるのかもしれない。たとえば車メーカーは、キーレスとして、指紋認証などを行っているが、IT 企業は、得意の携帯端末のようなものを利用し、車のどこかにセットすることで、AI とデータボックスをドッキングすることで、車が走るというようなことを考えているかもしれない。そうすると、日頃から携帯などを使い慣れている私には、車メーカーの自動運転車より、IT 企業のもののほうがはるかに魅了的なツールに思えるのであるが。車メーカーの開発思想は、すでに今の世代にマッチしていないと思われるので、自動運転車の研究開発は、IT 企業に任せて、空飛ぶ車の開発にお金を使った方がよろしいのではないか?空飛ぶ車は、私も購入したいと思います。

クリニック ちくさヒルズ 院長
林 衆治

先端医療はどうなるの?

今我が国では、iPS がもちきりである。再生医療がどんどん進めば、いままでなおらなかった認知症、心不全、肝硬変、糖尿病、リウマチ、そして癌がなくなり、ひとの健康寿命がのびていく。ロボットスーツが、進歩すれば、足が弱くなったひとや関節がわるくなったひと、が普通に歩いたり走ったりできるようになり、スポーツもみんなと一緒に楽しめるようになる。最近、がんで新しい免疫調節分子標的薬がでてきた。これまでと全く異なる作用機序で、当初医師は半信半疑であったが、あまりに優れた効果に驚いて、海外でも日本でも発売になった。この薬は、週に一回死ぬまで使う必要があるが、年間2000万円以上かかる。新しい抗がん剤だから、と思っていたらそうではなく、新しく販売されている C 型肝炎治療薬は、やはり月200万程度かかる。このように最近出現する新薬は、おしなべて高価格である。新薬開発には、コストがかかるようになっているし、しかも TPP の問題で、これまで米国で15年であった特許が、8年程度に短縮される。そうすると、必然的に薬価が高くなる。国内未承認薬を使い続けると、年間2000万円以上かかるという試算が厚生労働省から出た。つまり、先端医療を導入するということは、お金がかかることであり、加速すればするほど、国家医療費が増大し、国家財政は破綻に近づいていく。

日本は、科学技術の発展で生きていく国であるから、新薬を含めた新規医療技術革新は、ヘルスケア産業育成の発展からも必須である。ところが、先端的医療技術がどんどん開発され実用化されれば、日本の国家財政はますます破綻に近づくという悪循環がある。先端医療技術が、これからの日本に必要であるといっても、国の財政が終われば国も終了する。そうすると、皆保険制度をやめて、国民の自己負担にしようという話が必ず出てくる。つまり、お金持ちはよい医療を受けられるが、貧しい人は指をくわえて見ているだけ、ということである。

では、今後どのようなシナリオを選択できるであろうか?

ひとつは、前述の通り、高価な先端医療技術と格差の大きな医療享受形態である。何らかの保険をセーフティーネットにすることはできる。次に、先端医療技術の開発システムそのものを根本的に技術革新し、開発費をコストダウンすることである。この方法では、従来のまま、皆保険制度が維持できるかもしれない。最後に、先端的健康医療システムの研究開発と先端医療技術開発をパラレルに進めることである。この場合、健康満足度を維持しつつ医療費そのものは国家予算でまかなえる程度で質を保つことができるかもしれない。このように考えて行くと、私たちは、3 つも選択肢があり、どの道を進むかは皆で考えて結論を出せばよろしいのではないか?

クリニック ちくさヒルズ 院長
林 衆治

ビッグデータは有用?

ビッグデータに関する講演会があちらこちらで開催されている。どの講演会でも、決まってビッグデータは、世界を変えるとかこれからのビジネスは、ビッグデータを取り込んだものが勝つ、などと喧伝する。しかしビッグデータとはどういうものなのか本質が理解できているのであろうか?そもそもビッグデータは、従来であればスーパーコンピューターが必須であったはずである。ところがクラウドシステムが出現し、手軽にビッグデータを扱えるようになると突然いろいろな産業が導入しようというわけである。そうするとビッグデータとクラウドは、切っても切れない関係にあるわけであるが、ここに deeplearningAIがジョイントするとさらに強力なツールとして、期待される。しかし、クラウドと AI は、基本的には米国発祥のツールであり、このフィールドで日本が競争できうる余地はない。せいぜいおこぼれをいただく程度のことであろう。米国は、現在 携帯企業との間で、「国家安全保障に関わるから」という理由で、シムロックをはずすように求めている。これが実現すれば、携帯電話にある、あらゆる情報、たとえば「昨日だれと会話した」とか「今朝なにを食べた」とか、あらゆる個人情報が米国国家安全保安局に管理されることになる。つまり、世界中のビッグデータは、米国に管理されることになる。このことを覚悟の上で、AI ビッグデータを議論する必要がある。

最近ペッパーを販売するソフトバンクが、AI ワトソン有する IBM と、包括的提携関係を締結した。これは、非常に興味ある事象である。というのは、クラウド AI でマーケットを持っていても、また世界中のビッグデータを集積したくても、この成果を社会に還元したり、情報を収集するには、ビッグデータを集積できうる、また発信できうる、何らかの優秀な端末が必要となるからで、IBMは、ペッパーにビッグデータ集積発信用未来端末としての将来性を見たのであろう。

従って、日本が今後開発すべきは、有能な端末、たとえばロボット、ウェアラブル、自動車、医療機器、などの先端機器で、ビッグデータを集積しつつビッグデータをコントロールし、米国製のクラウド AI ネットワークとジョイントすることで、システムイノベーションを構築しつつ、発信するスキルを磨くことが競争のポイントとなるであろう。

クリニック ちくさヒルズ 院長
林 衆治

日本の再生医療 大丈夫?

日本は、iPS という国家プロジェクトを再生医療のグローバルスタンダードとするべく、多額の研究開発費を投入してきた。厚生労働省、文部科学省などの予算は、1000億円程度であるが、再生医療には、年間200億円以上が投入されている。しかし、米国 NIHなどの数兆円を超える予算に比べると微々たるものであり、このような予算で国際競争に勝つという無謀な野心を実現するために、厚生労働省は2015年11月に再生医療新法という世界に類をみないとんでもない法律を作ってしまった。

この法律によって、ざる状態である美容外科などが行う再生医療には、一定の歯止めをかけつつ、この分野で企業活動をする場合に、治験などで多くの要件緩和をすることで、劇的に参入しやすくなった。たとえば、治験を1000例ほど行う必要があった新規再生医療技術をなんと3例で保険適応してしまったのであった。これまできわめて慎重で、なかなか認可が下りなかった行政当局が再生医療に限り、他の先進国でも考えられないほど迅速に保険で認めるようになったのである。

ネイチャーは、この暴挙を他国が追随するのではなく、経過観察しようではないか、と呼びかけているほどである。

上記にあるように、再生医療を実施するはどめとして、プロトコールの是非を議論し、判断する認定再生医療等委員会が全国で設置された。そこでは、医療行為、臨床研究に関して、医療機関は、実施するすべてのプロトコールについて、委員会に申請し、判断をあおぎ、最終的には厚生労働省が認可をおろすことになっている。ところが、企業が行う臨床試験(治験)については、医療機関で実施されるプロトコールを審査にかける必要はなく、あまりに企業よりな仕掛けに対して、驚くばかりである。

さらにつけくわえるなら、日本が自慢する iPS は自分の細胞からつくるために拒絶反応がなく、安全性が高いことが、大きな売りであったはずなのに、いつのまにか iPS バンクなるものを作って、いろいろな人の細胞を集めて、あらかじめ他人の iPS からいろいろな組織、臓器を作っておいて、使用に備えそうなどというビジネスが進みつつある。拒絶反応や他家移植による危険性の議論は後回しにし、はじめに iPS ありきで、突っ走るのはいささか危険ではないだろうか?

クリニック ちくさヒルズ 院長
林 衆治

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