クリニック 名古屋ちくさヒルズ

理事長ブログ 名古屋クリニック

田村正和

田村正和が亡くなった。田村正和は、正統派二枚目スタートして、また板東妻三郎の二男としてよく知られている。しかし私が彼のことを知っているのは、ほとんどテレビ、しかもコミカルな役であり、正統派というのは、眠狂四郎ぐらいである、その彼が、晩年は、ほとんどマスコミに顔を出すことなく、いつの間にか亡くなっていたのである。もともと病気がちの人で、晩年も病気であったらしい。突然、芸能界を引退し、あっという間に亡くなった、感じである。静かな晩年で、静かに亡くなったところは、彼の美学であったようである。
このような生き方も、晩節を汚すより、はるかに清々しい感はある。
自分の人生は、ここまでと決め、さっと現役を引退し、静かに余生を送る。私の周囲にも、多くの余生生活の先生方がいるが、どの方々も結構生々しく、真っ白な美しさは、感じられない人々ばかりである。とすると、人生を美しく生きる、ということは、なかなか困難なことで、真似のできない芸、ということであるか?
美しくない日本に、稀有な人材が存在したことに感銘を受けるのである。

クリニック ちくさヒルズ 院長
林 衆治

築地ホテル

築地市場跡地については、前々回に書いた。築地の件で、最近中央区役所に時々顔を出す。役所に行くと、名誉市長として、著名な歌舞伎役者さんたちの写真がかかっている。ここ中央区は、銀座、日本橋、歌舞伎座など有名な観光スポットが目白押しである。その割には、区役所は地味で、年季が入っている。市長さんに話を聞くと、沢山の有名スポットはあるが、人口が最も多いのは、ベイエリアだそうである。このあたりには、タワーマンションが乱立し、お陰で人口はどんどん増えているそうである。市長さんの部屋を出るときに、古い写真に目を止め、職員さんに確認した。築地ホテルという建物が明治時代にあり、その写真だそうである。なんでも日本で一番最初にできたホテルだそうだ。たしかに、蒲郡ホテルに似ている。クラシックホテルとして有名なものとして、富士屋ホテル、金谷ホテル、蒲郡ホテルなどがあるが、そのはしりが、築地ホテルなのである。
このような由緒正しい建築物を復元することが、地域の人たちの希望でもあるようで、このことは記憶に留めておこうと思う次第である。

クリニック ちくさヒルズ 院長
林 衆治

梶島のアサリ

西尾市幡豆町の沖合に梶島という場所がある。春先のアサリの季節になると、吉良町宮崎にある、あるアサリ屋に出かけ、梶島のアサリを求めてくる。春先、アサリ取りの季節になると、アサリ専門のアサリ屋が出現する。店頭、と言っても大きな水槽があるのであるが、地場のアサリが並んでいる。このアサリたちの中でも、飛び抜けて大きいのが梶島のアサリである。梶島は、良質のアサリで有名で、このアサリは高級品である。毎年値段が異なっているが、今年は飛び抜けて高い。もしかすると、蛤よりも高いかもしれない。しかし、このように大きなアサリは、梶島しかないと見られ、よく売れるそうである。我が家も、贈答用に使っている。このような高級品は、もったいなくてなかなか家使いにはできないが、今年は思い切って一袋だけ家使いに購入した。ちなみに大量に購入したので、少し安い他の島で取れたものである。
この梶島のアサリを我が家から贈られた人たちは、例外なくあまりの大きさに驚いて
しかも美味しさも飛び抜けているので、二度驚くのである。
有名な魚市場でも購入できない珍しいものが、小さなアサリ屋で売っているのである。

クリニック ちくさヒルズ 院長
林 衆治

築地はどうなる

築地市場が、豊洲に移転し、現状築地は使用されていない。オリンピックとコロナで臨時使用されているが、その後はまったく未定である。魚市場は、古くは日本橋に魚河岸があり、手狭と言うことで、築地に移ってきた。寿司は、江戸の魚市場無くして発展しなかったであろうから、日本人の食文化は、日本橋、築地と言った魚市場の発展に支えられてきたといえよう。
この由緒正しい築地市場跡地利用について、数年前より議論がある。食に関連する場所にと言うことで、食健康医療をメインテーマに据えた施設の設立が望まれているが、東京都と中央区は、MICEと交通拠点、ホテルなどの滞在施設を想定しているようである。
私どもは、昨年より築地跡地を食健康医療の国際拠点として発展させるのはどうかと言うことで、さまざまな方々とグローバルヘルスの勉強会を行ってきた。ちょうど、その最中に新型コロナ感染の拡大という、これまで経験したことがない危機に見舞われ、パンデミック防災という観点からの検討という新たな視点が加わったのである。  食健康医療の国際拠点:築地グローバルヘルスが、どのように発展するか楽しみであるが、ビッグデータとA Iイノベーションと関連するものとなりそうである。

クリニック ちくさヒルズ 院長
林 衆治

便秘

私は若い頃から、下痢と便秘を繰り返す体質であった。ところが最近は便秘である。歳を取ると便秘になるとよく言われるが、私もご多分に漏れずそうである。ところが、なぜだかわからないが、山の別荘へ行くと、排便があるのである。山へ行くとお腹がスッキリし、帰ってくるとお腹が張るのである。理由を考えてみた。一つは、日頃の生活ではストレスが強く、便秘になりがち、ということである。自分ではストレスはあまりないように思っているが、案外あるのかもしれない。次の理由は人は、歳と共に脳神経細胞の数が減り、活動が鈍くなるというが、同時に腸管の神経細胞数も減少して腸の働きが鈍くなるという仮説である。神経内科の先生に尋ねてみたが、よくわかりません、と言われてしまった仮説である。私はどちらかと言うと、二つ目の説が面白いと考えている。腸管壁にある神経細胞数は、脳の3割程度と言われており、第二の脳とも呼ばれている。このように脳を代用できる数の神経細胞を持つ腸管は、若い頃から大事にしてケアしなければならなかったようである。

クリニック ちくさヒルズ 院長
林 衆治

東京クリニック開業準備

東京でクリニックを開設する。理由が二つで、一つは、再生医療のニーズが名古屋では小さい事、もう一つは、GHICの医療施設設立に向けて、あらかじめ東京に医療展開しておきたため、である。数面前より財団の理事会で議論されて方針は決まっていたが、やっと今年になって本格的に動き始めたのである。ということで、私自身でもクリニックを出す場所をいろいろ当たっている。港区千代田区文京区中央区でと考えていたので、でき鵜だけ良い立地で手頃な物件を探しているのである。コロナになる前に、数物件内見に行ったが、良いものがなかった。よいものという基準は、名古屋のクリニックをモデルとして、似たような雰囲気になる可能性があるものという意味である。名古屋のクリニックは、中庭の噴水を挟んで、対面には30階建てのマンションがある。ガラス越しの風景はいつ見ても良い感じがある。最後に内見に行った、南青山のあるマンションの一階が比較的天井が高く良い感じであった。このマンションは、青山学院を運営する財団が事務所とマンションを入居させている物件で、マンション自治会の力が強く、何かと制約が多い点で難点である。内装業者を入れて、改装の設計も進めていたのであるが、コロナ禍で開業計画が延期となってしまった。そういう事で、この物件は諦めることとなったのである。
今回のコロナは、市民生活を直撃し、経済に大打撃を与えているわけであるが、私どものクリニック計画にも大きな痛手となったわけである。

クリニック ちくさヒルズ 院長
林 衆治

番町マンション

東京に番町というところがある。ちょうど江戸城の西、旗本が多くの住んでいた場所である。永田町にも近く、議員さんたちの住まいもある。東京の名門女子高がいくつかあり教育環境も整っている。東京駅にも近い。など好立地条件であり、しかも岩盤がしっかりしているので、地震にも強い土地柄である。明治時代になると、多くの文人が住んでいたようで、名所旧跡巡りのような散歩道も整備されている。ということで、今住んでいる文京区のマンションから転居しようかと考えた。今住んでいる文京区小石川も小石川植物園や公園が多く緑に溢れている。大学が多く、地下鉄茗荷谷のあたりは、学生向けの喫茶食堂が溢れている。公共のテニスコート、有名な和菓子屋もある。気に入っている場所ではあるが、そろそろ飽きてきたのである。
ちょうど入居者募集をしている、番町のマンションを見つけたため、研究することとした。驚いたことには、価格が高い。下は一億円から上は10億円である。こんなマンションがあるのかと思い、ネットで調べてみると、東京には10億円を越すマンションがあるらしい。営業担当者に勧められて、一度場所を見に行くこととした。番町というところは、緑が少なく、ビルばかりである。主にマンションで、企業ビルも混在する。所々古い一軒家がある。このような街中には、今まで住んだことがないので、どうしたものか、と考えた。しかし次回に述べるが、東京で開くクリニックには近くなるので、便利である。
何回か担当者と話してみると、意中の部屋をもうしこんでも抽選らしい。倍率が高いそうである。期限ギリギリに申し込んで、抽選の日を待った。第一候補から第三候補まで上げておいたので、どれかは当たるであろうと思っていた。抽選の日の夜、電話がかかってきた。いつもの担当者ではなく、女性の声である。「残念ですが落選です」数ヶ月間時間をかけてきたが、この瞬間プロジェクトは終わったのである。
東京都心でマンションを手に入れるのは難しいということを勉強したのである。

クリニック ちくさヒルズ 院長
林 衆治

南禅寺別荘群

私は、京都では、青蓮院から南禅寺のあたりが好きである。青蓮院から岡崎を抜け、南禅寺へ行く間には、明治より南禅寺別荘群と呼ばれる大きな家がある。最近では、改装され、旅館や貸別荘となっている。南禅寺から銀閣寺までは、有名な哲学の道がある、途中、鹿ヶ谷を通って行く道で、いつ行っても観光客でいっぱいである。南禅寺から少し北に行ったところに光雲寺というお寺がある。この寺には、有名な作庭家が作った立派な庭がある。寺自体は、大した特徴はないが、庭は大きかった記憶がある。この寺も、看月亭という貸別荘と隣接し、庭を共有しているのである。この庭が、明治時代の名工 小川治三郎という人で、南禅寺別荘群のうち半分程度の庭を作った人である。南禅寺別荘群は、もともと南禅寺の敷地であった広大な土地を明治政府が召し上げて、その当時の偉い人たちが別荘を競うように作ったもので、一つの別荘が何千坪もある、現在では、なかなか保存も難しく、大企業の所有物になっているものも数多くある。このような別荘を所有することはできないが、現在旅館や貸別荘になっている場所に滞在すると、明治初期の別荘感覚を体感できるのである。

クリニック ちくさヒルズ 院長
林 衆治

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