院長ブログ 片言自在

メロンの魔力

メロンには、1万円を超えるものから数百円のものまで、さまざまである。しかし、メロンを見ると、なぜか襟をただして食べたくなる自分がいる。

先日、京都六盛のハモしゃぶを知人からもらったので、近くに住む先生夫妻を招くことにした。たまたまその日、べつの知人からマスクメロンをもらい、冷蔵庫に保管してあった。ハモしゃぶを堪能して最後に、ハモ雑炊をいただいた。といっても私が調理人である。はてさてデザートは何にしようか、と考えた時、冷蔵庫にあるメロンが頭に浮かんだ。結構大きなマスクメロンで、どのように切ろうかな、とちょっと考えた。ケチっても仕方がないので、思い切って4等分することにした。1人ずつ大きなお皿に入れても、はみ出すほどであった。招いた先生は、ハモしゃぶと一緒に出した冷酒が効いたのか、テーブルでウトウトしていた。もしかしたら、メロンは食べられないかな、と思いつつテーブルに並べた。先生の奥さんが「あなた、メロンよ」と言った瞬間、その先生はガバッと起きて、メロンにむしゃぶりついたのである。「美味しいメロンだねー」と言ったと思うが、いつのまにか綺麗に完食していたのである。

「メロン」という言葉には、不思議な魔力があり、万人を惹きつける。言葉を聞くだけで、あの匂いを思い浮かべて、あの繊細な味が蘇る。何より、メロンの前では、自分は素直になれるのである。

クリニック ちくさヒルズ 院長
林 衆治

カレイを捌く

西浦市場ではカレイを仕入れてきた。このカレイは、処理がしていないので、食べるためには下処理をせねばならない。私は、魚を捌いたことがないので、ネットで色々調べてから、取り掛かった。魚の捌き方には、一応ルールのようなものがある。きちんと捌くには、最低限のルールを押さえなければならない。今回のカレイは、比較的小さめであったので、刺身は諦めて、煮付けとする。綺麗に水洗いをし、神経を切り、ころもをそぎ落とし、内臓を取り出し、準備完了。この魚を、いつもの要領で煮付けする。別に購入した、名前のわからない小さなエビを塩茹でし、殻を剥く。こうして、カレイの煮付けと茹でエビが完成した。ここまでの作業で、結構時間がかかった。ついでに、アナゴの干物も軽く炙り、つまみとした。ゴージャスな晩御飯である。飲み物は、もちろん冷酒。「白鹿の搾りたて」があったので、お猪口で飲む。

こうして無事に晩御飯は終了した。

市場が近いということは、良いもんだなあ、と思ったが、毎日自分で下準備をすることを考えると、いつも出入りの魚屋で出来立ての刺身、おろしたての魚を仕入れた方が、手間がかからないなあ、と思ってしまうのである。

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林 衆治

早朝の魚市場

奥さんの実家は、西尾氏幡豆町にある。すぐ裏には、愛知こどもの国があり、このこどもの国の山を超えると、三河湾が見える。ちょうど対岸は、西浦半島である。西浦には、魚市場がある。この市場では、朝5時から場外が開き、その日に取れた魚が販売される。処理されていない、そのまんまの魚である。奥さんの実家で泊まった翌朝、この西浦市場に行くことになった。朝5時に開くので、4時起床である。私は、それほど興味はないのであるが、奥さんはウキウキしている。小さい頃、よくパパに連れられて、この市場に行っていたようである。その記憶が残っていて、自然とこころが弾むのであろう。ということで、夜早く寝ることにした。私とアーサーは、一階和室、奥さんは2階である。自宅でも、私とアーサーが1階のベッド、奥さんは、3階のベッドであり、大抵別荘などへ行っても、このスタイルである。翌朝夜明けとともに出発のつもりであったが、寝過ごして、5:30出発となってしまった。市場まで車で15分程度。6時前には到着。すごい車である。市場の周りは、車だらけで、すでにビニール袋をぶら下げた人たちが、どんどん市場から出てくる。やっと駐車スペースを見つけ、アーサーを車でお留守番させて、市場に入る。あたり一面魚の匂いがぷんぷんである。まだまだ人がたくさんいるが、一応全体像を把握する。市場は、体育館のようなところで、入り口から両側に店が10軒ほど並ぶ。店といっても、スペースにトロ箱を並べて、何匹かづつ、魚をまとめて売るというスタイルである。ヒラメ、アナゴ、たこ、いか、メヒカリ、ニギス、アジ、貝類、干物などなどである。店によって、売っているものに特徴があり、価格もまちまち。見て回るだけで楽しいものである。それでも数カ所の店で数点魚と干物を仕入れて、車に戻る。桟橋には、漁船が係留されていて、原っぱもあったので、アーサーの散歩をする。アーサーの散歩を終え、車で引き上げる頃には、市場は人影がなくなっていた。朝の市場は終わったのである。

クリニック ちくさヒルズ 院長
林 衆治

庭石

前回に述べたように、奥さんのはずの実家には、日本庭園がある。当然、池やら燈籠やらがあるのであるが、私の関心は、大きな石に向いている。池を取り囲むように、大きな石がいくつもあって、近くからよく見ると、どの石も異なった紋様なのである。なぜ興味があるか、というと、石は、古来何千年、何万年も魂を宿ると言われているからである。確かに、木の寿命は、数十年、長くても数百年と考えて良いであろう。ところが、石は、その創生から現在未来まで千万年である。墓石というのも頷ける。私はこれまでに、ぴよぴよ、カール、ポアロ、と3匹の犬を飼ってきた。この実家の庭石を彼らに見立て、いわゆる墓石とすることとした。もちろん全員 お寺で供養は済んでいるのであるが、それでもこの庭の中で、悠久の時を刻む石に、これまで共に生きてきた彼らを投影させたい想いがある。

ということで、まずは置かれている石が、どういう石なのか、調べることにした。とはいえ、庭が作られたのは、百年前程度になるので、当時のことを知っている人はいない。仕方がないので、知り合いの庭師に尋ねることにした。わかったことは、石は各地から来ていること、幡豆石が、多く使われていることである。幡豆は、もともと石の産地らしく、お城の石垣にも用いられているそうである。山から切り出したゴツゴツ感のある石もあるが、池の周りの石は、ツルツルで色合いも多様で、しかも大きい石が多い。川原にあった石といった感じがする。川原の石は、川の流れに晒されて、侵食され、表面が滑らかになるのであろう。

庭石は、何気なく眺めて、眺めることで心が癒されるという効果があるのであろうが、ともに暮らしてきた犬たちを紐つけることで、庭の見方が変わってくるのではないか、と期待しているのである。

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林 衆治

実家を別荘に改造する

奥さんが幡豆の実家を手に入れることができた。理由はいろいろあるのであるが、とりあえず念願の実家を手に入れたのである。久しぶりに家の中に入り、1階2階を隅々まで見て回った。もう何年もまともな管理がされていなかったようで、損傷が激しい。奥さんは、このままではとても快適に暮らせないと判断して改装することにしたのである。リノベーションである。私は、建て替えた方が良いかも、と言ったが、やはり思い出のある家なので、外観は残したいということになり、リノベとなったのである。

しかし、専門家に調査してもらうと、家の土台も傾いており、土台から屋根まで大規模な改修となるらしい。家の中も以前の面影は、和室で残るぐらいで、ほぼ完全に新規設計のような雰囲気である。コンセプトは、「20年間耐えられる別荘」に決まり、建築士と一つ一つ打ち合わせに入った。とは言っても、こちらのセンスにフィットしているわけではないので、なかなか意図が通じないのである、何度も何度も同じことを繰り返し、やっと一箇所が終わるといった感じであり、一体着工はいつになるのかという感じである。

幡豆の家は、見事な日本庭園が未だ残っていて、建築士と奥さんが打ち合わせている合間に、私はアーサーを連れて庭を散歩する。アーサーは、大きな石の後ろに回り、前足で穴を掘り始めたのである。石の後ろ側なので、目に入らないが、見事な大きい、自分の体が入るぐらいの穴を掘っているのである。

日本庭園と洋風な家は、ミスマッチのようにも思えるが、せめて、小さい頃に走り回ったであろう庭園を見ながら、今の暮らしを送るというプロセスは、自己確認の通過儀礼であり、これからもより良く生きていく上で、望ましいことと考えている。

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ママからの教え

私の奥さんは、奥さんのママの教えを守っている。私は、その教えがどのようなものか、詳細を知らないが、会話の中でことあるごとに、これはママから教えてもらったという内容を聞く。この傾向は奥さんが歳をとるにつれて、益々増えてきたように感じる。

ママが亡くなって15年以上が経つ。この間、事あるごとに寝室に飾ってあるママの写真に呼びかけて、ママにすがり、ママに教えを乞う姿を見てきた。さほどママの存在は、奥さんにとって大きなものであった。

ママは非常にクレバーな人であった。奥さんよりも数段賢かったと思う。奥さんも、それをわかっていて、なんとかママに近づこうと努力したのだろう。私にすれば、奥さんは十分に優れた人だと思う。人に優しく、厳しく、さらに自分に厳しく、不自由な眼を有しているに関わらず、多くのことを成し遂げようとする。人種を問わず公平に真摯に接することができ、道理に反することは堂々と反しているということができる。ママの姿を見ているようである。

機会があって、奥さんの実家を奥さんは自分のお金で買い取った。詳細は次回述べることにするが、奥さんが生まれ、ママと暮らしたこの家には、ママの魂が残っているようで、その魂が、奥さんを心から癒すようである。

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林 衆治

オンライン学会

コロナ禍の中で、学会活動は縮小の一途である。コロナとともに、出てきた学会の形態が、ハイブリッド学会といい、通常学会とオンライン学会を同時に施行するという形態である。

オンライン学会は、通常学会と比べて、コンテンツの作成など、従来にない業務にお金がかかるために、支出が大きい。収入は比較的保たれるので、収支はどうかなと思ったが、

以外と収支は黒字のようである。学会につきものの、懇親会や、宴会が全く行われないので、これが無駄な支出を減らす原因のようである。参加する方は、交通費や食費、また移動時間など無駄なもなくなり、特に若い先生方には好評である。

ということで、当初はオンライン学会に拒否感をもっていたドクターたちが、オンラインになじみ始めているのが現状である。

私ごとであるが、インターネットが出現して間もない、1998年に、リアルタイムストリーミング つまり 現在のオンライン学会を小規模ではあるが、日米欧の三極のドクターを集めて、名古屋で開催した記憶がある。NTTドコモが協力してくれて、非常に苦労はしたが、最後までやり切った。日米欧三極で、同時にスタートであるから、何時に学会をスタートさせるかが重要であったが、結局日本時間午前1時スタートとした。

オープニングは、私の挨拶に続き、愛知県芸術劇場でのパイプオルガンコンサートであった。この頃学会が開始されたのである、その他のイベントは、劇団四季のミュージカル、名古屋市能楽堂での能と狂言、である。リアルタイムストリーミングは、現在と比べて、時間差があり、不都合も時折生じた。その後、ネット学会は、普及しなかったわけであるが、今回コロナ禍の中で、急速に普及したのである。

このような学会形式は、開催費用も抑えられ、かつ参加者も低負担で時間に拘束されることなく学会参加し勉強できるので、非常に好都合と考えて20年以上までに試験運用したのであるが、コロナによる社会変革が認められるようになるまで普及することはなかった。理由は、既得権益も含めていくつかあるのであろうが、イノベーションが起こる引き金は、内外ともに何かが要求されるのであろう。

クリニック ちくさヒルズ 院長
林 衆治

ズーム会議

コロナによる緊急事態宣言が出て以来、会議のほとんどはズームである。ズーム会議のアドレスが、送られてくるので、これをクリックすると、ズーム会議の画面に入ることができる。会議の画面には、ミュートやビデオ画面やらのボタンがあるので、この操作を覚えておくと、最低限の作業は開始できるわけである。ズーム会議は、これまでに出張していた会議が、いながらにして参加できるというメリットがあり、時間的にもコスト的にも体力的にも断然ズームと考えるが、一方対面でしか得られない利点も数多くあることに気付かされたものである。

次回で話題に出すが、ズームを多用するオンライン学会は、ズーム機能の特徴を活かすように会議が構築されており、会議のみならず、学会のありようも大きく変化をもたらした。

ズーム会議になったおかげで、普通の会議であれば、2〜3しか参加できなかったものが、1日中会議ということも可能となり、幸か不幸か会議漬けという日が生まれてきた。

私は、クリニックで患者を診察する合間に、会議に参加することも時々あり、またミュート機能をうまく使うと、こちらの音を聴かれることなく、会議に参加でき、ご飯を食べながら会議に出ることも可能である。もちろん移動中に参加することも可能である。

会議は、特別に時間をとるものではなく、日常の中で参加するものとなりそうである。

クリニック ちくさヒルズ 院長
林 衆治

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